東京大学史料編纂所

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彰考館史料調査

 特殊史料部第二室は「編脩地誌備用典籍解題」の編纂刊行のため、地誌書目について調査を続けているが、昭和四十八年四月十日より翌十一日、水戸彰考館の蔵書中の地誌及び関係史料について調査した。
 彰考館の蔵書は、戦災により多数焼失し、地誌関係史料もその大部分を失っている。焼失をまぬがれた史料のうち、地誌に関するものとして、絵図には「笠間稲田地図」(元禄七年以前)、遊記には青山延寿「常北遊記」(安政二年)、「小堀遠州道記」(元和九年)があり、その他に「石州名所」、「増井御郡方田畠字名」、「水戸領四郡撞鐘等員数書」(年記を欠くが、恐らくは、天保十三年十二月以後斎昭が藩内寺院の梵鐘を納入させ、海防のための鋳砲の資となした際の書上であろう。)等を閲覧することが出来た。「編脩地誌備用典籍解題」巻之五収載の「五郎社記」は、管見によれば同館にのみ現存するもので、寛政七年五月、竹口尚重の著作で、本文は一丁、二十二行の小文である。(同本は、「官国幣社祭神考証抜萃」以下五点と合綴)。このほか「御触留」(明和八年—寛政九年)、「水戸御役人順席」、「水戸諸渡物定法」(享保十三年)等、地誌にかかわりのある藩政史関係史料も調査した。なお、「新写本年月出所録」は元禄元年から宝永四年にかけて彰考館の行った史料蒐集(書写)の状況を詳細に伝える史料で、参考になった。
 彰考館の史料は焼失したものが多いとはいっても、なお本所として採訪しておくべき古代中世関係史料が少なからず架蔵されていることを実見することができたのは収獲であった。(彌永貞三・山口静子・鈴木圭吾)


『東京大学史料編纂所報』第8号p.83